闘う書評 |
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著者: 福田 和也 定価: 価格:→¥ 660 | |
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本の本―書評集1994-2007 |
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著者: 斎藤 美奈子 定価: 価格:→¥ 1,800 | 斎藤ファン以外にも ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 斎藤さんの本は『物は言いよう』しか読んでないというビギナーですが、それでも十分に楽しめました。 書評集としての本書の特徴は、 ・その時々の新刊本が多い ・小説以外の本もたくさん取り上げられている ・フェミニズムの観点がある ・文芸批評、読書案内系の読み物が豊富である ・記事のカラーはいわゆる「闘う書評」に属するが、「切捨て御免」という一方的なスタイルではなく、客観性と公平性が保たれている(と思う) といった所でしょうか。 読み物としての面白さは勿論、700冊という収録数の多さ、索引の充実度からして、 斎藤ファン以外でも、読書人には便利な事典であると思います。 斎藤ファンとして(といっても初心者ですが)特に興味深かったのは、 大江健三郎『取替え子(チェンジリング)』と野嶋剛『イラク戦争従軍記』の書評です。 この2冊は(訳あって)異なる角度から2回書評されてるんですが、読み比べると 斎藤さんの「芸」の深さを味わえるのではないかと思います。 彼女の文芸評論が好きな自分にとっては至福の一冊。だけど・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 94−07年の間に週刊誌などに発表(一部初出不明もあるが)された書評をまとめた一冊。発売直後に購入したのだが、全部で783ページもあるので、暇を見つけて少しずつ読んでも、読了するまで一ヶ月以上を費やした。いくら斎藤美奈子の評論のファンであるわたしでもこの厚さの本をイッキに読むのは無理だった。時間的にも体力的にも・・・。 しかし、文芸(あるいは本にまつわる)評論が彼女の本職ではないかと考えているわたしにとって、彼女の書評が詰まったこの本を少しずつ読むことは就寝前の至福のひと時であった。 この本の構成は、年代別ではなくテーマ別である。そして巻末には書名別・著者別の索引も用意されている。だから、斎藤美奈子はどんな本を読みどんな書評を書いてきたのか、ということが分かると同時に、読書好きにはとっては良質なブックガイドともいえそうな一冊だ。 とはいえ、斎藤美奈子という批評家を知らずに「ちょっと読んでみっか」という興味で手に取るには約800ページは大部すぎる。だから、どんな人にも薦めることのできる一冊という訳ではないような気がする。 |
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書評家〈狐〉の読書遺産 (文春新書 552) |
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著者: 山村 修 定価: 価格:→¥ 330 | 80〜90年代の東京のオジサマになりたかった ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() わたしは禁煙を経験した者である。その際、山村氏の『禁煙の愉しみ』に助けていただいた。それで一方的に感謝と親しみを抱いており、拙いレビューも投稿させてもらった。山村氏が実は注目の匿名書評家<狐>氏であったのを知ったのはずっと後のこと。あろうことか、その時氏はもうこの世にはおられなかった。・・・ショックだった。 本書は<狐>氏の遺作。恥ずかしながら氏の書評は初めて読ませていただいた。『禁煙の愉しみ』でも、なんと知的で感性豊かな方かと感じたが、書評家としての文章はまた異なる味わいがある。弾むように生き生きとした、読書の喜びがほとばしる文章。限られた字数の中での的確な言葉選び。とても闘病中に書かれたものとは信じがたい。<狐>氏が長く活躍された『日刊ゲンダイ』、これをリアルタイムで読んでいた80〜90年代の東京のオジサマ方が羨ましくてしかたなくなった。 確かな読みと博覧強記ぶり、著者や他の評者に媚びない主張に圧倒された。しかし氏の書評の一番の魅力は、読者に寄り添う姿勢にあるとわたしなどには思える。読者と本をかえって遠ざけるような書評、評者のひけらかしや不親切が一番印象に残るような書評が少なくない中、<狐>氏の文章はそれらの対極にある。読者への配慮と手応えのある文章の見事さたるや、極端に言うと、まだ読んでない本ですら既に読んでいるような錯覚を覚えさせられるほど。<狐>氏の書評にかかると、どんな本も読者との距離が確実に縮まる。すぐれた書評は読者の興味や嗜好性という障害物を難なく越える、そのことを知らされた。 本当に残念なかたを亡くした。心よりご冥福をお祈りしたい。 「身につまされる」書評 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この本を読んで、あまりにおもしろかったので『<狐>が選んだ入門書』 『水曜日は狐の書評』と、たてつづけに買って読みふけってしまった。 この書評家のぬきんでた美点は、書評対象からの引用の的確さにある。 その引用部分の魅力を、同じ著者の別の著作や全く別の著者の言葉などを 自在に援用することによって最大限の効果で、読者に提示してくれる。 『<狐>が選んだ入門書』(ちくま新書)で、山村修は内田義彦の 『社会認識の歩み』を書評しているのであるが、そこでは 「断片断片を身につまされる形で知る」という内田の言葉を主軸に据えて この書物、この著者のエッセンスを取り出してくる。 山村の書評のスタイルは、この内田義彦の寸言の実践に他ならない。 つまり、断片断片を身につまされる形で読者に知らしめる、のである。 少なくとも私は、これにより「断片断片を身につまされる形で知る」 という内田の言葉それ自体を「身につまされる形で知」ってしまった。 確かに本を読むというのはそういうことかもしれないなぁ、と感じ入ってしまった。 この書評家の術中に気持ちよくはまった爽快感があった。 思うに山村修という人は、「身につまされる」ような言葉や書物を読むことが すなわち生きることと同義であるような、そのような人生を送った人なのだろう。 そういう人の書いた長目の書評集である。 内容紹介なしでも これで、おもしろさは十分伝わると思う。 惜しい人を亡くしてしまった。 |
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