歴史とは何か (岩波新書) |
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著者: E.H. カー 定価: 価格:→¥ 229 | 「いまを生きる」ための戦略的技術としての歴史研究・歴史学習 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() E.H.カーの著作で、日本でとても有名な著作。自分も高校生の時に買って、何度も挑戦してはわかりにくくて放棄し、また読んでの繰り返しだった1冊。 今改めて読み返してみると、歴史の持つ個人的効用、社会的効用がわかり始めたような気がする。「歴史は現在と過去の対話である」という言葉がここではとても印象的に使われているが、じゃあなぜそんな対話をする必要性があるのか。 今の社会で広範に流布している風潮は「いまを生きよう」や、「二度とないこの瞬間を大事に生きていこう」といったものが有力に見えて、そこには歴史を学ぶ必要性・必然性は欠落しているし、歴史への意識はかえっていまを生きる上で邪魔な障害物でしかないように思わせる。じゃあなぜ、歴史を学ぶ必要があるのか。 それは、いまを生きるときの「いま」は歴史的に構築されたもので、何らかの勢力が特定の意図の下で設計した結果として「いま」が「あるがまま」にあるという事実を、歴史は学ぶ者に教えてくれるからだ。この議論は本書の中に収録されている。そのことこそが歴史を学ぶべき最大の理由なのだと思う。毎日毎日、毎週毎週、毎年毎年「いまを生きる」ばかりでは、自分たちがいる位置について知ることは出来ないし、自分たちを取り囲んでいる諸々の制度の仕組みについても知ることが出来ない。「いまを生きる」精神を要求しているのは、例えば今の産業システムであり、それを前面に立って支えているマスメディア産業であり広告産業であり、そこでは物事のもつ歴史性を隠蔽し、また歴史自体を商品にすることによって人々を永遠に「いまを生きる」状態にとどめようとする傾向をもつ。そんな状態を食い止めるのが、現状の持つ問題性を明らかにする戦略としての歴史研究だ。 そういう風に考えれば歴史研究は実はとても過激なインパクトを齎すことの出来る分野でもあり、普通に生きている人々にとっても「いまを生きる」際の基本的なリテラシーともなり得る。この著作は、そんな視点からの読解にも耐えうる、中身の濃い1冊です。 「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとく ![]() ![]() ![]() ![]() 大学では西洋史を専攻した私。史学科の課題図書の筆頭はこのE.H.カー『歴史とは何か』だった。そしてカーの決めゼリフは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40) でもこれだけでは、カーの真意は伝わらないように思うので、私の言葉でカーの代弁をしてみたいと思う。 一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。そしてあくまでも仮説として設定することに意味があるのである。「客観的事実」を設定すること、「不変の真理」を設定すること、それに意義がある。有るかどうかは問題ではない。(愛も神様もそういう存在だと私は思っています。) 画家の安野光雅は数学者で水道方式で有名な教育家でもある遠山啓と対談し、以下のように語っている。「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとくこと。これが科学教育の第一歩だと思います。 ●安野:ひとつの目的に到達するための一種の方向感覚のようなものはありますか。(中略) ●遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。 『空想茶房』(平凡社1986年 <初出> 美術と数学との対話『遠山啓との対話 教育の蘇生を求めて』太郎次郎社1978年) 2002-11-9記す 歴史家の本分は何か ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 歴史哲学の古典的名著。 歴史事実、歴史叙述、法則、進歩などなど、歴史哲学の重要な問題が簡潔にまとめられている。 歴史哲学の最初の一冊にも薦められる本であろう。 以下概要 歴史は客観的に与えられたものではない。 なぜなら、歴史家は無数にある過去の事実の中から、何個かの事実を選び出して叙述するものだから。 また、おのおのの事実同士をどのような関係で結びつけるかも、歴史家の主観や現在の価値観が入り込むものである。 しかし、歴史は好き勝手に作っていいものではない。歴史家はやはり過去の事実にもとづかなければいけない。 だから「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(p40) 歴史家の中には、歴史事実をすべて個人の力に帰してしまうものと、すべて歴史の流れに帰してしまうものとある。 しかし、そのどちらもが誤りである。歴史は、その両方によって動かされているのだから。 歴史は科学であり、歴史家は史実という特殊的事例から一般的事例を引き出し、現在の我々に警告や教訓を与えていくものである。 歴史事実の因果関係もまた、そのような地平において設定される。 歴史の外側に完璧な未来や絶対的法則を設定するのは誤りだが、歴史をカオスとして捉えるのも誤りであり、我々は歴史の教訓を学び、未来へと生かすべきなのだ。 上記したように総じてよく出来た書である。 しかし、歴史をあそこまで科学にしてしまうのには疑問も残る。 確かに歴史を科学として機能させることは出来るし、そういう側面も歴史は有しているが、それだけが歴史ではないように思われる。 我々が歴史の本を読んで楽しんだりするのは、過去から教訓を学んで未来へ生かすという目的だけだとは到底思えない。 歴史には、そうした科学以上の深みがある。 そこら辺が、本書ではかけてしまっているように思えた。 なお、訳については、確かにときどき変な文章はあった。 例えば「第二点は、歴史は、なぜ個人が「彼ら自身の気持ちから見て、このように行動したのか」を研究する、というのですが、一見したところ、これはひどく異様に思われますけれども、私の感じでは、他の敏感な人々と同様に、ウェジウッド女史もぞ文が説教していることを自分では実行していないようです。」(p67)は、わかるといえばわかるのだが、やはり読みにくい文章だと思う。 しかし、こうした文章はそんなに多くはなく、訳で困ったりするようなことはほとんどなかった。 なので、訳の問題はそこまで気にしなくてもいいように思われる。 |
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火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1) |
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著者: ジョン・ディクスン・カー 定価: 価格:→¥ 257 | ミステリの最高傑作の一つ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() …だと思うんですが,一般的知名度は皆無の作品。その一方で,作者のライバルたるクリスティーの代表作「そして誰もいなくなった」は、巷間比類無きミステリの最高傑作として祭りあげられています。 …カーキチでアンチクリスティーの自分には、非常に腹に据えかねる事実です。 作家を並べてみるに、ストーリーテリング・キャラクターの造形・サービス精神・ユーモアセンス等々どれをとっても彼女とカーでは比較にならないでしょうに。 有名無名問わずカー作品の多くが,馬鹿馬鹿しいと不等な評価を受ける理由の一つに,翻訳の下手くそさ、が考えられます。 もう一つは,マニアックなカーキチ達が密室に拘るあまり,カーのその他の魅力を一切流布しようとしない,その偏執狂ぶりに起因するのではないか(それは早川を筆頭に出版社自身も叩かれて然るべきだが)。 しかしこの「火刑法廷」…上記のマイナスポイントを差し引いても、とにかく素晴らしいです!カー以外の他の誰にもこんなミステリは絶対に書けません。古典なぞと言う言葉ではひとからげに出来ないカーの代表作にして唯一無比の傑作… 未読の方は是非ともこの作品で、稀代のエンターテイナーにしてイリュージョニスト、ジョン・ディクスン・カーを堪能してみて下さいね。 怪奇趣味と不可能トリックの融合の極致。 ![]() ![]() ![]() ![]() 本書は、カーの特長である怪奇趣味と不可能トリックの融合が存分に楽しめる作品で、個人的には「★5つ」としたいところである。 冒頭はやたら説明調の文章が続きわずらわしさを感じるが、地下の納骨所を掘り返してみると、マイルズ老人の棺の中が空だったというあたりから俄然面白くなり、そこから先はもう途中でやめられなくなる徹夜本である。 ではなぜ「★5つ」でないかというと、推理作品としてみた本書のメインは、密室状況の納骨所から消えた死体の謎と、ヘンダーソン夫人が見た、開くはずのないドアに消えた「ブランヴィリエ侯爵夫人」の衣裳を着た女の謎にあるが、それらの解決がしっくりこないからである。 まず、地下納骨所を掘り返して、棺の中が空だったというところまでの退屈な作業については詳細に記しているのに、肝心の他の棺を片っ端から調べる作業についてはかなり端折られているため、そこに記されていることはまったく印象に残らない。 そのため後から説明を受けても「そうだったかな?」という感じで、トリックそのものは秀逸であるのに、残念ながら「ああ、成程」と感銘を受けるには至らない。 次に、開くはずのないドアの謎について、その「偶発的な」トリックを支える小道具である、書きもの机の上の「あるもの」については、それまでそういうものが部屋の中にあるということがどこにも記されていないため、「ああ、成程」と感銘を受けるには至らず、むしろフェアさに欠けるようにすら感じる。 それに、ヘンダーソン夫人が「女の首はぴったり体にくっついていなかった」と言っていたことについては未解決のままである。 以上、怪奇サスペンスとしては非常に面白い本書だが、推理作品としては画竜点睛を欠いており、「★5つ」までは進呈できない。 私のストライクゾーンど真ん中の作品なだけに実に残念である。 2つの楽しめ方 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この小説は 推理小説としてのオチ?も理論立てしてあるし、違う もう一つの終わり方にしても納得がいける。 一冊で2通り楽しめるお得な小説です。 |
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三つの棺 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-3) |
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著者: ジョン・ディクスン・カー 定価: 価格:→¥ 297 | カー初心者にはお薦めできない… ![]() ![]() ![]() 自分は他にカキコされている諸先輩方の様な所謂ミステリの鬼ではないのですが、本作品の訳文(特に地の文)には確かに違和感を覚えます。一言で稚拙かと。 比較的最近のカーの新訳作品にはすんなりと入り込めますが。上記の諸先輩方は恐らく原書まで読んでいるのか…凄いですね。 自分は批評などとはおこまがしいので素直な感想をば。 つまらなくはなかったんですが、カーの過剰なサービス精神を差し引いても冗長な感じがしました。ストーリーテラーとしてのカーを堪能するのであれば、火刑法廷を筆頭に他にいくらでも素晴らしい作品があるような…密室に関しても説得力が薄く感じるのは件の訳文のせいか? でも密室の講義だけは楽しめました,以前流行ったマジシャンの種ばらしみたくて…故に星三つとさせていただきます。 結論として、自分が他人にカーを薦める際は,密室物からユダの窓や曲がった蝶番,物語としての火刑法廷や喉斬り隊長、初心者相手ならば迷わずプレーグコートの殺人等にしておきます。 しかし自分も、この三つの棺の完全新訳版が出たら、改めて読み直してみたいですね。 メタフィクション? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() カーは全て面白いが、ベストはやはりこれだろう。 フェル博士の密室講義があるのはこれだから。 まあ、クイーンにも言えるが、 日本語で読むと面白さが100%伝わらないのはしゃない。 時計のトリック(時間の錯誤)が納得出来ないのは、 カーが悪いんではなく、翻訳が悪いと思いなせぇ!(w 実は四つの棺になっていく過程が日本語でも十分ゾクゾク出来ます。 翻訳が酷すぎる ![]() ![]() ![]() カーの傑作としての評価は☆5つ。 しかし、翻訳があまりにもひどい。 中学生が直訳したような文章から、もはや意味不明な文章まで 作品の魅力を損なうようなトンデモ訳で翻訳権独占ときたもんだ。 カーと全ての日本人を馬鹿にしてるとしか思えないが、 ☆1つにするのはカーに失礼だし☆3つで。 |
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危機の二十年―1919-1939 (岩波文庫) |
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著者: E.H.カー,井上 茂 定価: 価格:→ | これで十分じゃないでしょうか ![]() ![]() ![]() ![]() 国際政治学の名著で、その内容に関するレビューも多いので、敢えて解説の必要はないでしょう。マルクス、マンハイムによって形成されたイデオロギー批判の手法を吸収し、それを国際政治の場面に見事に応用した卓越さこそ、この本の名著たる所以です。 訳については、賛否があるようです。確かに、"The Central Powers "を「中欧諸国」と訳している点などはいただけません(ただ、これを「同盟国」と訳すのは、賛同できません。これを「同盟国」と訳すと、"The Allied Powers"の意味がとれなくなってしまうからです)。しかし、ざっと英訳と比較したかぎり、それほどまずい訳をしているようには見えません。名著の訳としては、合格ラインにあるのではないでしょうか(私の英語力が足りないだけ?)。 ただ、一点惜しまれることは、カーという人物についての解説がないことです。外交官としてヴェルサイユ会議を見聞した経歴や、ロシア革命に関心が高く、マルクスの著作などの影響を強く受けていることなどが解説してあれば、カーの思考の背景にもっと迫れるはずです。版を新しくする機会があれば、カーの生涯の解説を付け加えてほしいところです。 邦訳があまりにもひどすぎる! ![]() 原書(英語)を読みながら、邦訳を横に参考として置いているが、その訳のずさんさに落胆しました。理論の部分に直訳が多いのは仕方ないことですが、誤訳のみならず、訳抜けまでありました。たとえばthe Central Powersを「中欧諸国」と訳すのはあまりにも誤解を招く表現である(本当の訳は「(第一次大戦の)同盟国」)。 国際関係や国際政治の基本文献でも最初に挙がるような文献であり、国際政治学を当時体系的にまとめた著書だけにあって、厳密に訳してほしかったですね。The Twenty Years' Crisisという書物自体は星5つなのですが、邦訳については星1つが最高でしょうか。 これから本書を読まれる方は、ぜひ原書で読んでください。カーの英語はわりとわかりやすいかと思います。 数度の精読に耐える名著 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 危機の二十年、それは、第一次世界大戦を経験した人類が最も平和を叫んだ二十年の物語である。なぜ、第一次世界大戦を経て、戦争の悲痛さを知った人類が再び第二次世界大戦を起こしてしまったのか。なぜ、人類が世界平和を願い、国際連盟をはじめとする平和主義が満ち溢れた時代(日本外交では幣原喜重郎による国際協調外交)は次の世界大戦を防ぐことが出来なかったのか。Carrは、一つ一つ具体例を踏まえ丁寧にそれを説明していく。 国際政治学の古典的名著。 |
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カーオーディオ・パーフェクト・セオリー・ブック (GEIBUN MOOKS 610) (GEIBUN MOOKS 610) |
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著者: 石田 功 定価: 価格:→¥ 1,034 | |
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CG (カーグラフィック) 2009年 02月号 [雑誌] |
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著者: なし 定価: ¥ 1,200 | |
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カーオーディオハンドメイドブック (5) (GEIBUN MOOKS (No.579)) |
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著者: カーオーディオマガジン編集部 定価: 価格:→¥ 1,280 | |
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CG (カーグラフィック) 2009年 01月号 [雑誌] |
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著者: なし 定価: 価格:→¥ 580 | |
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僕はパノラマカー |
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著者: 古池 直之 定価: ¥ 1,995 | |
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camp car MAGAZINE (キャンプカーマガジン) 2009年 01月号 [雑誌] |
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著者: なし 定価: 価格:→¥ 390 | |
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